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浅野太志 in サイパン

サイパン旅行の道中を綴ります。(6日間 限定ブログ)

プロフィール

浅野 太志

Author:浅野 太志

14歳の頃から、占いの世界に興味を持つ変わり者。
フランス・パリでエテイヤ・タロットの取材を終え、占い師として活動再開。
専門は、四柱推命、タロット、姓名判断など。


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1,000回達成・パリブログ


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教訓 ~悠久の時間の中で~


 朝、目覚めると、そこは南の国サイパン…

 窓の外の雑然とした感じの景色が、なんとも素敵です。

   窓からの眺め

 このブログも、今日で4日目になります。

 3日連続で、妙に気取った、話のタイトルをつけてしまったので、このスタイルをもう崩す事ができなくなりました(笑)
      あと2日、このスタイルで通せるのだろうか…

 今日のお昼は、レストラン 「パリ・クロワッサン」 で、本格的なターキー・サンドと濃厚なキュウイフルーツ・ジュースで、腹ごしらえをしました。

   クロワッサン
 この濃厚なキュウイフルーツは、多分ここでしか味わえませんね。

 S君が僕に、パリが懐かしいだろうって、あえてパリ風のお店をスケジュールに組み込んでくれたんです。

 何から何まで、S君にはお世話になりっぱなしで、本当に感謝しています。

 日本では冬ですが、ここサイパンは常夏…

 半端なく、暑いです。

 スーツを着て、海岸を歩いたら、汗だくになりました(笑)

砂浜にて

   というより、この場所でこの格好は、ちょっと頭のおかしな人ですね…

 旅行中に真面目な服装も必要な時もあるかもしれないと思って、一応スーツも持ってきたので、せっかくだから、着なければもったいないと思って…

 今日は、観光バスに乗って、サイパンの最北端の地区である、バナデル地区を巡りました。

 でも、この場所だけはちょっと、特に日本人には、浮ついた気持ちで廻れるような所ではありません。

 このサイパン島の最も北にあるのは、バンザイクリフと呼ばれる切りたった崖…

   バンザイクリフ

 なんでこんな名前になっているかというと、理由があります。
 
 サイパンは、第1次世界大戦の1914年から30年間、日本統治下にあって、多くの日本人が移住をしていました。

 今から70年ほど前… 太平洋戦争のさなか、1944年6月15日にアメリカ軍が島に上陸を開始してきました。
 アメリカ軍の作戦では、日本本国を攻撃する為の戦闘機の基地として、サイパン島がどうしても必要だったのです。

 アメリカ上陸軍と日本軍の戦力の差は歴然としていて、対抗するすべもなく、移住していた日本人は、北へ北へと追い詰められていきました。

 そして、この最北端の崖から 「生きて帰っては祖国の恥。生きて捕虜になるくらいなら、自決せよ」 という命のもとに、この最北端の80mもある崖の上から、女性や子供も含め、1万人にも及ぶ、おびただしい数の日本人が身を投げて、お亡くなりになったのです。

 母親は泣きながら、子供の首を絞めて殺し、この崖の下へと飛び降りたといいます。

 それを見ていたアメリカ軍の兵士は、戦慄し、 「天皇陛下、万歳」 「大日本帝国、万歳」と言いながら、次々に飛び降りる叫び声を聞いたアメリカ兵が、「バンザイクリフ」 と名付けました。

 80mの崖の下は、おびただしい数の死体が連なり、海は真っ赤に染まっていたそうです。
 だから、後から飛び降りた人は、その死体がクッションになって一度には死にきれず、大変苦しみながら死んでいったという話です。

 まさに、これは地獄絵図ですね。

 ここバンザイクリフには、たくさんの慰霊碑が立ち並んでいます。 

   慰霊碑

 サイパンでのんびりと楽しい夏を満喫するつもりが、思いがけず、悲しい歴史のフタを開ける羽目になってしまいました。

 でも、ひょっとしたら、この悲しい過去の出来事の詳細を教えてもらう為に、この場所に呼びよせられたような気もしてきました。

 続けて、バンザイクリフに近いマッピ山にある、日本軍の最後の司令部があったという、スーサイドクリフに行ってまいりました。

   スーサイドクリフ

 この洞窟が、日本軍の司令部の入口です。

司令部入口 当時はジャングルになっていましたから、アメリカ軍も、この場所を容易に発見できませんでした。

 ガイドさんの案内に続いて、この洞窟の中に入っていきます。


司令部の中

 実は僕、この中に入ろうとしたら、なんかすごく気持ち悪くなって、引き返したくなったんです。

 何とも言えない息苦しい気持ちになってきて、吐き気がして…

 でも、ここで逃げちゃダメだな… って、思いました。

 70年前にこの場所で、日本軍の兵隊さんたちが爆撃でやられて玉砕していったという事実を、語り継いでいくべき義務を放棄してはいけないなと…

   司令部

 柱は砲弾を受けて、丸く切り取られているし、壁面は生々しいばかりの銃弾で、穴ぼこだらけになっています。

 身の毛もよだつような惨劇が、70年前に紛れもなくここにはありました。

 人が人を殺しあう…
 何でこんな事になったんだろう。

 ちゃんと目を逸らさないで、しっかり考えなければ… と今思う。

 さっきのバンザイクリフだって、崖から飛び降りた日本人の中に、好きこのんで、飛び降りた人は一人もいないはずです。

 だから、「自ら死を選ぶのは、日本人の美学だ」 とか 「潔くてあっぱれだ」 とか、これはそういう綺麗事で済ませるような話ではない…

 もちろん中には、生き恥をさらしたくなかったとか、軍部からの命令に従わざるをえなかったといった理由で、崖から飛び降りた人もいるかも知れないけど、決して、本当の理由はそれだけではないでしょう。

 生き恥をさらしたくないという理由だけなら、親がわが子を自分の手にかけて、崖から飛び降りるような事にはならないはずです。
     そんな親がいたなら、冷酷非道の極みです

 きっとみんな、「相手」 の事を信じられなかったからじゃないかと思う。
 「相手」 というのは、この場合はアメリカですけど…

 捕虜になったなら、ひどい拷問を受けるかも知れないし、死ぬよりももっともっと苦しい思いをしなければいけない…
 わが子にそんな思いだけは、させたくない…

 多分、そういう気持ちだったんじゃないかと思います。

 もちろんこの時代、アメリカ軍の捕虜になれば、本当にそうなってしまう可能性もあった訳です。
 日本軍だって、この時代に、戦争捕虜というものをどのように扱っていたかについては、未だに不透明のままです。

 これは、個人という枠を超えた、その時代の社会全体の問題だと思う。

 我々だって、もしも、あの時代のその状況におかれたなら、ほとんどの人がやはり、わが子を手にかけて崖から飛び降りるという、苦渋の選択をするに違いありません。

 この事は、アメリカが悪いとか、日本が悪いとか、そういうレベルの低い次元ではなくて、世界全体の問題として、考えていかなければならない事だと思う。

 だから、この時代の戦争捕虜がどういう扱いを受けたかという事は、歴史考証の資料として調査する必要はあっても、少なくともそれで、相手を責めて、政治利用すべきではありません。

 今 この時代に、その過去を蒸し返して、「謝罪しろ」 とか 「賠償金を払え」とか、そういうのも確かに気持ちはわからなくはありませんが、もう、そんな事を言っていてはいけないと思う。

 これからの我々は、過去の憎しみにとらわれている場合ではなくて、未来に向けて、我々の子供達の為に、歩んでいかなければならないのだから…

   戦車

 これは、マッピ山にある、実際に戦争に使われた日本軍の戦車です。
 この中に3人の人が乗り込んで、操縦していたんですね。

 アメリカ軍が使用していた戦車は、装甲も大きさも、性能が段違いで良くて、とても太刀打ちできなかったそうです。

   対空砲

 こっちは、元々は対空砲として作られていたのですが、船から上陸してくるアメリカ軍を迎え撃つ為に、銃口を低くして使われたそうです。

 その為、銃口が弾の熱に耐えられず、崩壊してしまったらしい…

 錆びついてしまったので、見栄えを良くするためにグレーのペンキが塗られていますが、戦車も対空砲もどちらも、当時は緑色のペンキが塗られていたそうです。

 みんな、「相手」 の事を信じられなくなって、自滅していくのだと思う。

 そして、その特定の 「相手」 を槍玉にして非難する事で、憎しみが生まれ、やがて戦争は始まる…

 「真珠湾を忘れるな」 とか 「ハルノートの内容がひど過ぎる」 とか、特定の事柄に対する憎しみによって、人は本来持っている、心の綺麗な目が曇ってしまうのかも知れません。

 捕虜に対する過酷な拷問や残酷な仕打ちも、全てはそういった相手に対する憎しみから、端を発しているのだと思います。

 あの真珠湾攻撃は、決して日本軍が不意打ちを狙っていた訳ではなく、情報伝達の遅れが原因だった事は、当時の資料や文献から、今では明らかになっています。
 それが今回、大きな誤解につながってしまった訳ですけど…

 ハルノートは、確かに日本に対する扱いはひどいものでしたが、アメリカが自国の利益を優先する上では、やむを得ない事だったのかも知れません。

 相手の立場をなるべく理解して、相手を信じる事…
 そして自分も、作為や思惑を持ったり、相手を陥れるような事なんて考えないで、相手から信じてもらえるように、それぞれがつとめる事が、一番大切だと思う。

 これは、今までいつも、自分の思惑や作為というものに心を縛られていた、僕自身の反省の意味を込めてでもあるのですけど…

 こういう問題は、「戦争はいけない事だ」 とか 「人と人とが殺しあってはいけない」 とか、表面的な観念の部分だけでとらえてしまうと、やっぱり、本質がよくわからなくなってしまうと思うんですよ。

 一番の問題点は、結局、相手を信用できなくなってしまった所にあると思うから…

 あまり特定の例をあげたくはないんですけど、例えばISが捕虜に対して、人として考えられないような行為をするのは、その根底に過去の憎しみが大きく作用しているという事実は、間違いありません。 

 だからと言って、その行為は許されるべきではないのですが、こちらも同じような憎しみのレベルになり下がって、報復する事を考えたならば、世界はまた、同じ間違いを繰りかえす事になると思う。

 相手を信用できないという所から、世界中の悲しみは、全て端を発しているんじゃないかな…

 ISという組織は、きっと自分達以外の人間は、もう信用できなくなっちゃっているのだと思う。

 そういう所に、悪魔の知恵を持った狡猾な指導者がひょっこりと出てきて、弱い人々の疑心暗鬼に付け込んで、仮想の敵を外に作り上げて組織をまとめていたりします。

 そして、相手を信じる事ができなくなったその果てには、この世のものとは思えない、殺戮の地獄が待っている…

 たまたま今日、僕はそれをサイパンで発見したけれど、この手の課題は、この世界中に山積みになっているはずです。

 世界中には、ISのようなテロ組織だってあるし、おかしな事ばっかりやっている油断のならない国もあるし、恐ろしい犯罪者だって山のようにいます。

 「自分たちの民族が一番で、他民族は属国である」 とか 「弱肉強食の世の中、汚い事をやるのが、本当の人間の本性だ」 とか、そういうおかしな思想を、小さな頃から植えつけられて育った人は、そう簡単には変わらないかも知れません。

 とはいえ、それでもやっぱり、相手を信じる事をやめてしまったら、全てが終わってしまうと思う。

 これは、国と国の関係という大きな単位であっても、個人と個人の関係という小さな単位であっても、全て同じだと思います。

 決して、お人好しに生きればいい… と言っている訳ではありません。

 自分の身は自分で守る事は、もちろん必要です。
 僕だって、今回の旅行でも、しっかりと防犯グッズは身に着けています。

 ただ基本的には、相手の事を信じた上で、自分自身も、相手に信頼をしてもらえるような生き様をする義務が、世界中の全ての人にあるんじゃないかと思いますね。


 この後もあちこち、サイパンの中を観光したのち、3人でホテルのプールサイドに行って、バイキングの夕食を召し上がりました。

プールサイド

 すごく幻想的な雰囲気です。

 料理は取り放題で、お酒も飲み放題という、夢のお食事プラン…

   バイキングにて

 なんか少し、疲れた顔してますね(笑)

 いろいろと考えさせられる一日でした。

   ギター

 プロの弾き語りの人が、それぞれのテーブルに回ってきてくれて、リクエストした曲を素敵な演奏で奏でてくれます。

 心が癒されていく…

 今、このサイパンで、日本人の子孫もアメリカ人の子孫も、こんなに仲良く幸せに暮らしている…
 戦争の犠牲になって亡くなった当時の人達は、それをどんな風に思うのだろう…

 でも、きっと喜んでくれると思います。

 すっかり酔いが回って、S君に介抱されながら、ホリデー・リゾート・サイパンホテルへ戻りました。

 半分酔いつぶれながらも、夜中にずっとパソコンのメモ帳で、熱くなってこの文章を打っていたら、朝になっちゃいました(笑)

 すごく大きな教訓を得たな…
 本当、この場所に来て良かったと思います。

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