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終章 ~旅の終わり~


 いよいよサイパンの旅も、これで終わりです。

ホテルの前にて

 お世話になった、ホリディ・サイパン・リゾートホテル……

 部屋も大きくて綺麗だし、受付の方もすごくフレンドリーな素敵なホテルでした。

 おみやげも、いっぱい買い込みました(^^)

    プレート

 これは自分用…… サイパンの思い出に、サロン ド シルフィーユに飾ろうと思います。

    ボージョボー人形

 これは、ボージョボーという名前のサイパンの人形で、願い事を叶える働きがあるのです。
     かなり、怪しい……

 強さを得たい時には、腕を体の前で結び、恋を叶えたい時には、足を交差させ、金運を上げたい時には、手を背中にまわして結ぶのです。
      一応、足 交差させとこ(笑)

    マグカップ

 このマグカップは、S君がくれたABCマートの引換券とレシートでもらった、非売品の貴重なマグカップです!
   知らず知らず なにげに、緑色のものばっかり集めている……

おみやげ

 本のしおりに、マグネットホルダー……

 サロン ド シルフィーユに鑑定を受けに来てくださった方で、ご希望の方に、先着順で差し上げます。
   大したものではありませんが、もらってください……

 あと、日用品やおもちゃとかお菓子を、もろもろ買い込みました。
 まあ、これでも足りなかったら、後はサイパン空港でも買えますし(笑)

 何気にサイパンは、日本語が使える所が多いので、海外旅行初心者にはお勧めです。
 パリを難易度5だとしたら、サイパンは難易度1ぐらいでしょうか。

    クラブ六本木
     カラオケクラブ・六本木……

 いたる所に日本のお店があります。

パン

 こんな風に、売り場なんかでも、ちゃんと商品に日本語表記がしてあったりするから、すごく安心です。

 ホテルの部屋のテレビは、NHKが受信できるから、今の情勢もすぐわかります。
 これって、パリではありえない事です。

 まるで島全体が、パリのピラミッド地区みたいです。
 (2012/3/17ブログ 「パリに愛される日本文化」 参照)

 僕は今日で帰国ですが、S君とS君の奥さまは、もうあと2日サイパンに滞在します。

 二人とお別れの晩餐を、ガラパン地区にある、日本食のレストラン「故郷(ふるさと)」で、しました。

   故郷

 これで、サイパンとお別れか……
 そう思うと、すごく切ない気持ちになります。

 日本はこれから、寒い冬……

 できれば、この暖かい南国で一生暮らしたい気持ちです。
 なんて…… そんな事、言ってられませんね(笑)

   乾杯

 3人でしばしのお別れに、乾杯しました。

 現地の人は、みんな朗らかで、人が良いというか、のんびりとして、いつもニコニコしています。
 
 サイパンの公用語は英語ですが、現地の人が使うチャモロ語には、日本語の影響を受けた言葉がいっぱいあります。

 「ボウシ」 「ボウズ」 「ナマイキ」 「サルマタ」 「チチバンド」 は、そのまま日本語と同じ意味です。
   チチバンドって、やらしくね……

 サイパンは、緑がいっぱいの島……

 この島で、最も生息しているのは、このダカンダカンの木……

   ダカンダカン

 今年の8月の台風の影響で、折れちゃっていますけど……

 今から70年前の爆撃で、焼け野原になってしまったこの島に緑を取り戻す為に、アメリカ軍が空からヘリコプターで島中にダカンダカンの種を散布したんです。

 これって、いかにもアメリカらしい、大胆な解決法だと言いますか……
    食物連鎖、ぶち壊しやねん

 でも、このダカンダカンは、すごく生命力が強い木で、あっという間に、土の養分を吸い取って他の木を枯らしてしまうそうです。

 しかも、幹が細くて節だらけだから、焚き火で燃やすまき以外には、全く使い物にならず、現地の人からはかなり不評を買っているらしいです。
    だいたい、こんな暑い所で焚き火とかしないし……

 それでも、ここサイパンは、本当に自然が豊かな島です。
 とはいえ、人々がちゃんと管理しているので、イグアナはたまにいますけど、ヘビとかが出てくる事はありません。

 そして、海はどこまでも澄み切っている……
 日差しがまぶしくて、木々の香りが心地よくて、どこからともなく、南国独特のあのゆるやかなリズムの音楽が聞こえてくる……

 今、しっとりと心が満たされているのを感じます。

 旅というものは、ただそれだけで、人の心を満たしてくれるのかも知れません。

 さようなら、サイパン……

 サイパン空港までの送迎バス乗り場に向かう途中、綺麗なハイビスカスを見つけました。

ハイビスカス

 この島にあるもの全てが、いとおしい……

 S君夫妻に見送られながら、サイパン空港までの送迎バスに乗り込んで、一路サイパン空港へ……

   飛行機

 僕が乗る、デルタ航空のDL297便です。

 機内放送では、成田空港の気温は12度との事……
 「そっか、日本は冬だったんだ」 なんて、妙にシュールな気持ちになったりします。

 明日から、また忙しい日常が始まる……

 頑張ります!!

    サイパン発

 Fin

 6日間、このブログにおつきあい頂きまして、本当にありがとうございました!!

 P.S.

 メルマガ・シルフィーユは、12月6日の発行になります。
 お題は、「バラ色の人生の扉を開く鍵」 ……

 今回のサイパン旅行の裏話や、感じた事や学んだ事を、思いきり書こうと思っています。

 個人情報を入力しなくても、無料で登録できますし、いつでも登録解除できますから、よろしかったら是非、メルマガ登録してみてください。

 浅野 太志

感動 ~夢の楽園に恋して~


 Hafa adai ! <ハファ デイ> こんにちは(チャモロ語)

 日本では、寒さがどんどんと極まっていく頃ですね。
 どうか皆さま、体調など崩されませんように、暖かくしてお過ごしください。

 ここサイパンは、今日も最高に暑いです。
 これはこれで、体調管理に気をつけなくちゃです(笑)

 それにしても、昨夜のブログの僕は、熱くなりすぎました。
     サイパンの気温以上でした……   

 徹夜であんな長々と文章を書き連ねて、熱く自己主張をしてしまって……
 本当、調子に乗って、申し訳ありません。

 もちろん自分の意見を撤回しようとは思いませんが、僕自身、かなり変わった考え方の人間ですから、「まあ、こういう考え方もあるのか」 と、笑いながら、参考程度に読んで頂けたなら、嬉しいです。

 朝、少しだけ寝てから、H.I.S.に昨日のブログをアップしに行って、S君とS君の奥さまと、昼食を食べに行きました。

 ガラパン地区からずっと海岸通りを南下したところにある、ススペ地区のレストラン・360……

   360

 この360は、このビルのてっぺんの丸い部分にある、レストランです。

 3人でビルのエレベーターに乗り込んだら、たまたま一緒に乗り合わせたリッチそうな身なりの男性が、なんと360のオーナーさんでした。
   お店へようこそ、と挨拶されました。

 奇遇というか… なんかこれからすごくツイている事が起こりそうです。

 360というのは、建物の客席部分の床が1時間で一周して、サイパン島360度全部が窓から見渡せるという、展望台つきレストランなんです。

   360

 なんと、このレストラン、ハワイやカナダのトロントにもあるそうです。

 これを考えるオーナーの発想は、すごいです。

 今日も、サイパンのあちこちを散策しました。

道の途中

    サングラスかけると、ガラ悪くみえますね(笑)

 とはいえ、やっぱりサイパンといえば、ビーチです。

ビーチ

 真っ白な砂浜が熱いです!

 水着の用意もしてきたので、S君にシュノーケルのやり方を教えてもらって、海の中で泳いできました。

 水の中には、きれいな緑色の熱帯魚もいました。

 水が本当に気持ちよくて、思わず感動です。

 このまま、夢の楽園のとりこになってしまいそうです……

 とはいえ、まわりたい場所は、他にもまだまだあります。

   休憩中

 缶コーヒー(UCCコーヒーの350ml缶)を飲んで、ちょっと一休み……

   バードアイランド

 これは、バードアイランド……

 この時は昼だったので、鳥はいませんでしたが、朝夕はたくさんの鳥たちが、ここに集まってくるそうです。

 続いて、香取神社に行ってきました。

   香取神社

 香取神社は、この島が日本領だった時に、日本人が建てた神社です。
 この階段を上ると、祠(ほこら)があります。

 サイパン島には、チャモロ人という元からの先住民がいるのですが、最初はスペイン領に、続いてドイツ領、日本領、そして今は、アメリカ領となっています。

 こうやって、チャモロの人々は、全ての国の支配を受け入れてきたのですね。

 夕方は、あちこちのショップでおみやげを見ました。

 何を買ったかは、また明日のブログにでも載せようと思いますが、日本には無いサイパン特有の素敵なおみやげがいっぱいありました。

 中にはこんなものも……

 食用虫

 これ、食用の虫です。  ちょっとキモいです(笑)

 さすがにこれは、買いませんでした……

 ちょっと、悪ノリしてみました(笑)  店内にあった、実物大オバマ大統領……

   オバマ大統領と

    オバマさんって、背が高かったんですね……

 お昼に360でガッツリ食べすぎたせいか、夜になってもあんまりお腹が減らないので、ホテルのバーでおつまみを頼んで、3人で飲み明かしました。

クリスマスツリー

 ホテルにあった、綺麗なクリスマスツリー……

 クリスマスっていうと、寒い冬のイメージがありますけど、世界にはこんな風に暑いクリスマスだって、存在するんですよね。

 このサイパンに滞在するのも、あと1日……

 帰国の前に、最後の思い出を作ろうと思います。

教訓 ~悠久の時間の中で~


 朝、目覚めると、そこは南の国サイパン……

 窓の外の雑然とした感じの景色が、なんとも素敵です。

   窓からの眺め

 このブログも、今日で4日目になります。

 3日連続で、妙に気取った、話のタイトルをつけてしまったので、このスタイルをもう崩す事ができなくなりました(笑)
      あと2日、このスタイルで通せるのだろうか……

 今日のお昼は、レストラン 「パリ・クロワッサン」 で、本格的なターキー・サンドと濃厚なキュウイフルーツ・ジュースで、腹ごしらえをしました。

   クロワッサン
 この濃厚なキュウイフルーツは、多分ここでしか味わえませんね。

 S君が僕に、パリが懐かしいだろうって、あえてパリ風のお店をスケジュールに組み込んでくれたんです。

 何から何まで、S君にはお世話になりっぱなしで、本当に感謝しています。

 日本では冬ですが、ここサイパンは常夏……

 半端なく、暑いです。

 スーツを着て、海岸を歩いたら、汗だくになりました(笑)

砂浜にて

   というより、この場所でこの格好は、ちょっと頭のおかしな人ですね……

 旅行中に真面目な服装も必要な時もあるかもしれないと思って、一応スーツも持ってきたので、せっかくだから、着なければもったいないと思って……

 今日は、観光バスに乗って、サイパンの最北端の地区である、バナデル地区を巡りました。

 でも、この場所だけはちょっと、特に日本人には、浮ついた気持ちで廻れるような所ではありません。

 このサイパン島の最も北にあるのは、バンザイクリフと呼ばれる切りたった崖……

   バンザイクリフ

 なんでこんな名前になっているかというと、理由があります。
 
 サイパンは、第1次世界大戦の1914年から30年間、日本統治下にあって、多くの日本人が移住をしていました。

 今から70年ほど前…… 太平洋戦争のさなか、1944年6月15日にアメリカ軍が島に上陸を開始してきました。
 アメリカ軍の作戦では、日本本国を攻撃する為の戦闘機の基地として、サイパン島がどうしても必要だったのです。

 アメリカ上陸軍と日本軍の戦力の差は歴然としていて、対抗するすべもなく、移住していた日本人は、北へ北へと追い詰められていきました。

 そして、この最北端の崖から 「生きて帰っては祖国の恥。生きて捕虜になるくらいなら、自決せよ」 という命のもとに、この最北端の80mもある崖の上から、女性や子供も含め、1万人にも及ぶ、おびただしい数の日本人が身を投げて、お亡くなりになったのです。

 母親は泣きながら、子供の首を絞めて殺し、この崖の下へと飛び降りたといいます。

 それを見ていたアメリカ軍の兵士は、戦慄し、 「天皇陛下、万歳」 「大日本帝国、万歳」と言いながら、次々に飛び降りる叫び声を聞いたアメリカ兵が、「バンザイクリフ」 と名付けました。

 80mの崖の下は、おびただしい数の死体が連なり、海は真っ赤に染まっていたそうです。
 だから、後から飛び降りた人は、その死体がクッションになって一度には死にきれず、大変苦しみながら死んでいったという話です。

 まさに、これは地獄絵図ですね。

 ここバンザイクリフには、たくさんの慰霊碑が立ち並んでいます。 

   慰霊碑

 サイパンでのんびりと楽しい夏を満喫するつもりが、思いがけず、悲しい歴史のフタを開ける羽目になってしまいました。

 でも、ひょっとしたら、この悲しい過去の出来事の詳細を教えてもらう為に、この場所に呼びよせられたような気もしてきました。

 続けて、バンザイクリフに近いマッピ山にある、日本軍の最後の司令部があったという、スーサイドクリフに行ってまいりました。

   スーサイドクリフ

 この洞窟が、日本軍の司令部の入口です。

司令部入口 当時はジャングルになっていましたから、アメリカ軍も、この場所を容易に発見できませんでした。

 ガイドさんの案内に続いて、この洞窟の中に入っていきます。


司令部の中

 実は僕、この中に入ろうとしたら、なんかすごく気持ち悪くなって、引き返したくなったんです。

 何とも言えない息苦しい気持ちになってきて、吐き気がして……

 でも、ここで逃げちゃダメだな…… って、思いました。

 70年前にこの場所で、日本軍の兵隊さんたちが爆撃でやられて玉砕していったという事実を、語り継いでいくべき義務を放棄してはいけないなと……

   司令部

 柱は砲弾を受けて、丸く切り取られているし、壁面は生々しいばかりの銃弾で、穴ぼこだらけになっています。

 身の毛もよだつような惨劇が、70年前に紛れもなくここにはありました。

 人が人を殺しあう……
 何でこんな事になったんだろう。

 ちゃんと目を逸らさないで、しっかり考えなければ…… と今思う。

 さっきのバンザイクリフだって、崖から飛び降りた日本人の中に、好きこのんで、飛び降りた人は一人もいないはずです。

 だから、「自ら死を選ぶのは、日本人の美学だ」 とか 「潔くてあっぱれだ」 とか、これはそういう綺麗事で済ませるような話ではない……

 もちろん中には、生き恥をさらしたくなかったとか、軍部からの命令に従わざるをえなかったといった理由で、崖から飛び降りた人もいるかも知れないけど、決して、本当の理由はそれだけではないでしょう。

 生き恥をさらしたくないという理由だけなら、親がわが子を自分の手にかけて、崖から飛び降りるような事にはならないはずです。
     そんな親がいたなら、冷酷非道の極みです

 きっとみんな、「相手」 の事を信じられなかったからじゃないかと思う。
 「相手」 というのは、この場合はアメリカですけど……

 捕虜になったなら、ひどい拷問を受けるかも知れないし、死ぬよりももっともっと苦しい思いをしなければいけない…
 わが子にそんな思いだけは、させたくない……

 多分、そういう気持ちだったんじゃないかと思います。

 もちろんこの時代、アメリカ軍の捕虜になれば、本当にそうなってしまう可能性もあった訳です。
 日本軍だって、この時代に、戦争捕虜というものをどのように扱っていたかについては、未だに不透明のままです。

 これは、個人という枠を超えた、その時代の社会全体の問題だと思う。

 我々だって、もしも、あの時代のその状況におかれたなら、ほとんどの人がやはり、わが子を手にかけて崖から飛び降りるという、苦渋の選択をするに違いありません。

 この事は、アメリカが悪いとか、日本が悪いとか、そういうレベルの低い次元ではなくて、世界全体の問題として、考えていかなければならない事だと思う。

 だから、この時代の戦争捕虜がどういう扱いを受けたかという事は、歴史考証の資料として調査する必要はあっても、少なくともそれで、相手を責めて、政治利用すべきではありません。

 今 この時代に、その過去を蒸し返して、「謝罪しろ」 とか 「賠償金を払え」とか、そういうのも確かに気持ちはわからなくはありませんが、もう、そんな事を言っていてはいけないと思う。

 これからの我々は、過去の憎しみにとらわれている場合ではなくて、未来に向けて、我々の子供達の為に、歩んでいかなければならないのだから……

   戦車

 これは、マッピ山にある、実際に戦争に使われた日本軍の戦車です。
 この中に3人の人が乗り込んで、操縦していたんですね。

 アメリカ軍が使用していた戦車は、装甲も大きさも、性能が段違いで良くて、とても太刀打ちできなかったそうです。

   対空砲

 こっちは、元々は対空砲として作られていたのですが、船から上陸してくるアメリカ軍を迎え撃つ為に、銃口を低くして使われたそうです。

 その為、銃口が弾の熱に耐えられず、崩壊してしまったらしい……

 錆びついてしまったので、見栄えを良くするためにグレーのペンキが塗られていますが、戦車も対空砲もどちらも、当時は緑色のペンキが塗られていたそうです。

 みんな、「相手」 の事を信じられなくなって、自滅していくのだと思う。

 そして、その特定の 「相手」 を槍玉にして非難する事で、憎しみが生まれ、やがて戦争は始まる……

 「真珠湾を忘れるな」 とか 「ハルノートの内容がひど過ぎる」 とか、特定の事柄に対する憎しみによって、人は本来持っている、心の綺麗な目が曇ってしまうのかも知れません。

 捕虜に対する過酷な拷問や残酷な仕打ちも、全てはそういった相手に対する憎しみから、端を発しているのだと思います。

 あの真珠湾攻撃は、決して日本軍が不意打ちを狙っていた訳ではなく、情報伝達の遅れが原因だった事は、当時の資料や文献から、今では明らかになっています。
 それが今回、大きな誤解につながってしまった訳ですけど……

 ハルノートは、確かに日本に対する扱いはひどいものでしたが、アメリカが自国の利益を優先する上では、やむを得ない事だったのかも知れません。

 相手の立場をなるべく理解して、相手を信じる事……
 そして自分も、作為や思惑を持ったり、相手を陥れるような事なんて考えないで、相手から信じてもらえるように、それぞれがつとめる事が、一番大切だと思う。

 これは、今までいつも、自分の思惑や作為というものに心を縛られていた、僕自身の反省の意味を込めてでもあるのですけど……

 こういう問題は、「戦争はいけない事だ」 とか 「人と人とが殺しあってはいけない」 とか、表面的な観念の部分だけでとらえてしまうと、やっぱり、本質がよくわからなくなってしまうと思うんですよ。

 一番の問題点は、結局、相手を信用できなくなってしまった所にあると思うから……

 あまり特定の例をあげたくはないんですけど、例えばISが捕虜に対して、人として考えられないような行為をするのは、その根底に過去の憎しみが大きく作用しているという事実は、間違いありません。 

 だからと言って、その行為は許されるべきではないのですが、こちらも同じような憎しみのレベルになり下がって、報復する事を考えたならば、世界はまた、同じ間違いを繰りかえす事になると思う。

 相手を信用できないという所から、世界中の悲しみは、全て端を発しているんじゃないかな……

 ISという組織は、きっと自分達以外の人間は、もう信用できなくなっちゃっているのだと思う。

 そういう所に、悪魔の知恵を持った狡猾な指導者がひょっこりと出てきて、弱い人々の疑心暗鬼に付け込んで、仮想の敵を外に作り上げて組織をまとめていたりします。

 そして、相手を信じる事ができなくなったその果てには、この世のものとは思えない、殺戮の地獄が待っている……

 たまたま今日、僕はそれをサイパンで発見したけれど、この手の課題は、この世界中に山積みになっているはずです。

 世界中には、ISのようなテロ組織だってあるし、おかしな事ばっかりやっている油断のならない国もあるし、恐ろしい犯罪者だって山のようにいます。

 「自分たちの民族が一番で、他民族は属国である」 とか 「弱肉強食の世の中、汚い事をやるのが、本当の人間の本性だ」 とか、そういうおかしな思想を、小さな頃から植えつけられて育った人は、そう簡単には変わらないかも知れません。

 とはいえ、それでもやっぱり、相手を信じる事をやめてしまったら、全てが終わってしまうと思う。

 これは、国と国の関係という大きな単位であっても、個人と個人の関係という小さな単位であっても、全て同じだと思います。

 決して、お人好しに生きればいい…… と言っている訳ではありません。

 自分の身は自分で守る事は、もちろん必要です。
 僕だって、今回の旅行でも、しっかりと防犯グッズは身に着けています。

 ただ基本的には、相手の事を信じた上で、自分自身も、相手に信頼をしてもらえるような生き様をする義務が、世界中の全ての人にあるんじゃないかと思いますね。


 この後もあちこち、サイパンの中を観光したのち、3人でホテルのプールサイドに行って、バイキングの夕食を召し上がりました。

プールサイド

 すごく幻想的な雰囲気です。

 料理は取り放題で、お酒も飲み放題という、夢のお食事プラン……

   バイキングにて

 なんか少し、疲れた顔してますね(笑)

 いろいろと考えさせられる一日でした。

   ギター

 プロの弾き語りの人が、それぞれのテーブルに回ってきてくれて、リクエストした曲を素敵な演奏で奏でてくれます。

 心が癒されていく……

 今、このサイパンで、日本人の子孫もアメリカ人の子孫も、こんなに仲良く幸せに暮らしている……
 戦争の犠牲になって亡くなった当時の人達は、それをどんな風に思うのだろう……

 でも、きっと喜んでくれると思います。

 すっかり酔いが回って、S君に介抱されながら、ホリデー・リゾート・サイパンホテルへ戻りました。

 半分酔いつぶれながらも、夜中にずっとパソコンのメモ帳で、熱くなってこの文章を打っていたら、朝になっちゃいました(笑)

 すごく大きな教訓を得たな……
 本当、この場所に来て良かったと思います。

歓喜 ~あふれる光の中で~

 DELTA航空の298便に乗って、サイパンに到着したのは、現地時間の午後3時10分……

 空港ビルの窓から、まぶしい日差しが飛び込んできます。

 「ここがサイパンなんだな……」と、思わず3人で感激に浸る事しばし……

サイパン空港着

 税関を出て外に出ると、そこは夏の海辺でした。

サイパンの風景

 あれ、今12月だっけ……

 なんだか、シュールな感覚です。

 見るもの、聞くもの全てのものが、新鮮です。

 送迎バスで送ってもらって、宿泊先のホリデー・サイパン・リゾートホテルに着きました。

   ホリデー・サイパン・リゾート

 これが僕の泊まる部屋……
 
   部屋

 僕はS君に、「飾り気のない旅行を楽しみたいから、一番粗末なホテルにしてね」って頼んだのですが、思いがけず超豪華です。

 この4名用の部屋を、独り占めです(^^)
      一人で使うには、ちょっと勿体ないです…

 しばらくしたら、夕暮れ……

夕暮れ

 美しい島だなあ……
 本当にここに来てよかった。

 夜の予定は、3人でディナーショーを見ながらのディナーショー……

   フラダンス 

 ビールをガブガブ飲みながら、地元のフラダンスを楽しみました。

   ディナーショーとバーベキュー
      ちょっと煙ってます(笑) ゴホ ゴホ……

 このホテルのインターネット環境はどうかなあ…… って思っていたのですが、やっぱりダメでした。
 ホリデー・サイパン・リゾートは、部屋にもロビーにも、そんな設備はありません。
      まあ、そこがいい所なんですが……

 最初、ブログできないじゃん…… って、顔が青ざめたのですけど、現地のH.I.S.で、一瞬だけサーバーを借りて、あらかじめ作っておいた文章を、アップさせて頂く事になりました。

 ごめんなさい…… さすがに、メールの返信まではできません。

 胸が躍るようなこの歓喜を、これを読んでくれている皆さんに、少しでもおすそわけできる文章にできたら、嬉しいのですが……

離陸 ~はるか南の空へ~

 気がつけば12月……
 朝6時にS君の車に乗せてもらって、中野坂上を出発…… 只今、成田空港にいます。

 現地に着いてからの事を考えて、かなり薄着をしてきたので寒いです(笑)

 間もなく、この成田空港の北ウィングから、サイパン行きの飛行機に乗り込みます。

    北ウィング

 なんというか…… 夢と現実とが錯綜しているような、非日常的な不思議な感覚です。

 これから3時間後には、常夏の国・サイパン……

 サイパンと日本とは、時差が1時間あるので、現地に着いた時には4時間を消費した事になります。

 ちなみに、サイパンがアメリカ領でありながら、北マリアナ連邦と呼ばれているのは、島の内政に関しては、完全に連邦政府が行っているから……

 ただし、軍事外交の権限は、アメリカ合衆国にあるという事らしいです。

 サイパン島民は、アメリカ合衆国への納税義務はない代わりに、大統領選挙の投票権もありません。

 これが、サイパンのマップ……

    サイパン島

 僕が泊まるホテルは、このガラパン地区のホリデー・サイパン・リゾートなんですけど、そのまま海岸線に沿って南下して歩いて、ススペ地区まで行ってみようと思っています。

 S君がいろいろと旅行のスケジュールを立ててくれていて、朝は島のあちこちを観光して、昼はビーチではしゃいで、そして夕方からディナーショーという、まさに夢のツアーの始まりです。

 今、胸をドキドキさせながら、この文章を携帯用のパソコンで打っているのですが、たった一つだけ、とても心配な事があります。

 それは噂によると、サイパンではインターネットサーバーが強くなくて、すぐに切断してしまうらしく、今後のこのブログが果たしてちゃんとアップできるのかどうか、という事……

 サーバーがつながりにくいということは、メールの返信もできるかどうか、かなり怪しいです。

 先月末は、何かと面倒な書類を書いたり、印鑑を押さなければいけないような雑用が多くて……

 そんな状況で、こんなブログを立ち上げようと思ったのが災いして、実は11月29日以降のメールの返信がまるでできていません。

 現地で、うまくメールボックスが開ければいいのですが……

 メールをくださった皆さま、本当に申し訳ありません。
 もしもメールボックスが開かなかった場合、12月4日の夜に日本に帰ったら、順次返信をしますので、どうかもうしばらくお待ちになってくださいm(_)m

 今日の夕方には、常夏の地・サイパンに着きます。
      現地気温は30℃らしい……

 何が起こるか、とっても楽しみです!!

序章 ~新たなる旅立ち~

 思えば、パリから帰ってきて、3年以上の月日が過ぎようとしています。

 本当に月日が経つのは、早いと言いますか…… あれからいろいろな事があって、そして、また新たな旅に出る事になりました。

 とは言っても、今回はただのレジャーの3泊4日の海外旅行ですけど(笑)

 親友のS君からのお誘いを受けて、S君とS君の奥さまと、一緒に3人で南の島・サイパンまで明日飛び立ちます!

 「なんでいきなりサイパンなの?」 という感じですが、確かに僕自身、前回のパリのように、特にサイパンに思い入れがある訳でもなく、どんな所かあまり良くわかっていません。

 たまたま、S君が誘ってくれたのが、サイパンだったから…… というだけなのですが、でも、きっとその偶然には意味があるかなあと……

 朝、新宿のTravelexに行って、外貨を250ドルぐらい仕入れて…… もちろん全部使うつもりは合いませんけど……

   ドル札

 ううっ、ドル札感激!!    意味のない感動……

 あとは、ドンキホーテに行って、旅行用品や防犯グッツなんかを、買いこんできました。

 そして、ちゃんと僕の本を定番で占いコーナーにおいといてくれてる、紀伊國屋新宿店さんに行って、サイパン旅行のガイドブックを買ってきました。
わがまま歩きサイパン
 夢中になって、ガイドブックを読んでみると、だんだんサイパンの事が好きになってきました。

 サイパンは北緯15度、東経145度の島……
 北マリアナ諸島のひとつの島で、現在はアメリカ合衆国の自治領です。

 北緯15度っていう事は、ほとんど赤道ですね。
 だから、12月でも常夏です(^^)

 11月から3月までは乾季で、4月から10月までは雨季、どっちにしても、平均気温は27度です。

 僕は寒いのが苦手なので、何気にこういうの好きです。

 それにしても、旅行の前日というのは、胸がワクワクしますね。
 パリに行った時とは、また別の感覚です。

 パリから戻って4年近く、あれから、ただひたすら突っ走って……
 最近はそのせいか、息切れしてあえいでいるような感じですけど(笑)

 12月の一番忙しいさなか、お客様に失礼だと思いつつも、急遽の鑑定依頼を断ったりして、こんな風に海外旅行にうつつを抜かしていていいのか… と思っているもう一人の自分がいます。

 でも、たまには息抜きも必要かなとも思う。
 せっかく、S君が誘ってくれたんだし……

 今回、またブログを始める事は、実は急に思い立った事なんです。
 また、前回みたいに1,000回続けるような事はしなくて、今回はたった6回で終わるつもりですけど(笑)

 それで、昨日からいろいろと準備して、前のFC2ブログにログインして、ゴチャゴチャFC2マニュアルを読んで、もう一回新しいページを作るのに、思った以上に悪戦苦闘しました。

 もう1年以上も更新していない、パリ・ブログのブログ・ランキングをふいにのぞいてみたら、なんと3位でした。しかも、拍手もすごい数になっていました。
  第1位は、大差で村野大衡先生!! これはもう、不動ですね(^^)

 こんなちっぽけな僕のブログをのぞいてくださって、いつもランキングや拍手を押してくださっている方がいるんだなあ…… と思うと、涙が出るくらい嬉しいです。

 本当、もっと頑張らなくちゃ、申し訳ないですね。

 旅行の準備でいろいろやっていたら、メールの返信もできないまま、こんな時間になってしまいました。

 旅立ちは明日……

 このブログで、旅の様子を逐一、皆さまにご報告しますね♪
         
プロフィール

浅野 太志

Author:浅野 太志

14歳の頃から、占いの世界に興味を持つ変わり者。
フランス・パリでエテイヤ・タロットの取材を終え、占い師として活動再開。
専門は、四柱推命、タロット、姓名判断など。


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